|
『勝海舟』(かつかいしゅう)は、1990年12月30日、12月31日に日本テレビで放映された『日本テレビ年末時代劇スペシャル』の第6作である。幕末の風雲児・勝海舟の生涯を描く。 == あらすじ == ;プロローグ :明治30年代、明治女学校長・巌本善治は、東京の氷川町に住む一老人の談話を書籍にまとめようと取材を重ねていた。その老人こそ幕末の激動期を江戸幕府の幕引き役として主導した勝海舟である。慶應義塾の福澤諭吉から寄せられた勝や榎本武揚を批判する「痩我慢の説」という論文を見せられ、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」とつぶやく氷川の老人。彼には人に言えない痩せ我慢が多くあったのである…… ;第一部「日本よーそろ-サムライ太平洋を渡る-」 :函館の商人・渋田利右衛門は江戸で貧乏な御家人勝麟太郎(のちの海舟)と知り合い、彼の蘭学修業の費用を出そうと申し出る。困惑した勝だが、父勝小吉の死も重なり、ありがたく援助を受けた。 :その頃、黒船の来航により混乱していた幕府は、老中阿部正弘の指示により、広く対処の意見を求めた。大久保忠寛は、意見書の中から若き蘭学者・勝麟太郎の主張を取り上げ、長崎に海軍伝習所を作ることを約束する。宿願かない長崎で夢のような日々を過ごす勝。その地でお久という女性と懇ろになる。海軍修業を終えた幕臣たちは咸臨丸で太平洋を渡るが、その間に日本で起きていた桜田門外の変により状況は一変。勝は逼塞生活を余儀なくされるが、土佐の脱藩浪人・坂本龍馬が弟子入りをし、将軍・徳川家茂の理解を得て、神戸に海軍操練所が建てられる。しかし、腐敗した幕府要職の狭い考えから操練所は閉鎖。お久、家茂と相次いで病死して勝が失意に陥っている間も、時代は大きな転換期へ差し掛かろうとしていた…。 ;第二部「幕臣残照-咸臨丸は沈まず-」 :慶応3年(1867年)、京・近江屋にて坂本龍馬が同志の中岡慎太郎と共に暗殺される。その後、気運はいよいよ倒幕一色となり、最後の将軍徳川慶喜をとりまく状況は暗転を重ねてゆく。そうしたなか、幕閣のなかでただ一人、忠義の心から慶喜に諌言する者がいる。かつて勝とともに訪米し、果敢に貨幣の交渉に乗り出した日本でただ一人「ノー」と言える男、小栗上野介忠順であった。幕府が苦境に陥っているの中で苦悶しているのは勝も同じであった。勝は、山岡鉄舟と益満休之助を早馬で走らせ、自身も薩摩の西郷隆盛と江戸城総攻撃をめぐり談判に及ぶ。 :慶喜の勘気を受けて退任した小栗はその頃、新たな人生を生きていた。農夫にまじり田畑を耕し、もはやかつて奉行職にあったころの面影はなく、次なる希望に満ちている。妻の腹には大望の子も宿った。だが、小栗が隠し金を横領していると主張する浪人集団が押しよせた、威嚇のため放った大砲の件が新政府軍の疑惑を呼び、小栗は連行された挙句、理不尽な取調べの後、斬首されてしまう。江戸を象徴する人物達が次々と去り、咸臨丸の仲間たちも、ある者は病、ある者は維新の犠牲として散っていく。いつしか、勝だけが明治の新時代を生きている。渋田利右衛門の協力で長崎で亡きお久との間に生まれた子・梅太郎を引き取るも、勝家にはなかなかなじまなかった。渋田は数年後故郷の函館で死去。そして明治10年、ついに西郷が西南戦争を起こす。勝は西郷の説得を依頼されるが、そんな役割に飽き飽きしていた彼はこれを固辞。西南戦争の最中に長州の木戸孝允が病死。西郷も弟子の桐野利秋、村田新八らと共に壮烈な最期を遂げる。更に翌年に西郷の無二の親友で内務卿の大久保利通も暗殺され、勝は共に新時代を切り拓いた同志の相次ぐ死に時代の無常を痛感する。家庭内でも憤死した西郷への追悼文執筆に熱中するあまり、米国留学から帰国した長男・小鹿の挨拶にも気づかず、民子と口論に及んだりした。この頃から勝は次第に屈折していく…。 ;エピローグ「海舟臨終・永遠の船出」 :ともに江戸幕府の幕引きを支えた山岡も大久保忠寛も病に倒れた。夫婦の希望の星であった小鹿も夭折、後を追うように父・小吉の代から仕えてた家僕・彦助も老衰で死去。勝の身にも静かに人生の黄昏のときが近づこうとしている。それでも、勝海舟、最後の幕臣である彼にとっては、徳川家の御家人としてどうしてもやらなければならない仕事があったのである。老骨に鞭打ち勝は、悲壮な決意を秘めて有栖川宮邸に赴くのだった……。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「勝海舟 (1990年のテレビドラマ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|